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2018年8・9月号 vol.21

三遊亭歌橘「ASHIKAGAN GRAFFITI」

2018年08月02日 10:36 by howdys
2018年08月02日 10:36 by howdys

三遊亭歌橘「ASHIKAGAN GRAFFITI」

 わたしが子供の頃、とは云っても中学校一年生の頃の話だが、毎日のように、実の家族以上につるんでいた先輩が居た。今となっちゃあ、ひとつ上、ふたつ上も「同世代」の括りだろうが、中学時代は一個上「天皇」で、二個上「神」だった。それは田舎に行けば行く程、暗黙の掟=ローカルルールが採用されたりする。

 中学校入学から半年後、気がつけば、その先輩の舎弟のようなことをやっていた。いや、やらされていたのかもしれない。「ヒロキング」と呼称されていた二学年上の先輩。我が母校は、仁義なき戦いの影響なのか、はたまた、ビー・バップ・ハイスクールに心酔していたのか、ツッパリ供は、それぞれ通り名を持っていた。「持っていた」と言うのは、通常、通り名とは「人呼んで!」の領域なのだが、ヤンキー文化独特のバカ道を極めているので「勝手に通り名」である。とにもかくにも名前を売るのに必死だった時代、他校に乗り込んで有名どころをぶっ飛ばして去り際の捨て台詞。

 「オレは◯◯中の「台風の目」だ! 逃げも隠れもしねーから、いつでも来いやァー!」

 とんだ台風の被害に見舞われたもんだ……。

 まあ「台風の目」は通り名として、まあまあとしよう。もっとひどいものになると「デッキシューズのケン」「里矢場の悪魔の豚」「トリカラのレッド」「カーニーバルのシュウ」「ルパンヤマダ」と、通り名と言うより陰口の域に達していたりする。

 先に話の出た「ヒロキング」は自ら名乗ったわけではなく、自然と呼ばれるようになった通り名のエリートコース。って、なんのこっちゃいな⁉︎

 これに対して「マリリン」と呼ばれていた恐ろしい先輩。名前の由来は、十四歳の時に叔父さんがソープに連れて行き、筆おろし担当の姉さんが「マリリン」だった。それ以降、人呼んで「マリリン」。しかし、自ら名乗るわけでもなく当人の前でその名を出そうものなら半殺しになる、正真正銘の通り名であった。

 ヒロキングの口癖は「全国制覇!」だった。栃木県のそれも外れの足利市民の若僧が「全国制覇!」を口にしていたのだ。それを聞いた自分も「おッー!」と返していたのだから若気の至りは恐ろしい。

 ある日―――――。

 大番長「ヒロキング」にケンカを売って来た猛者が現れた。隣町の中学校で「キングヒロ」呼ばれている売り出し中の男。その男曰く「足利で「キング」はひとりで充分だ!」売り言葉に買い言葉、ヒロキングも「どっちが真の「キング」かケリをつけてやる!」と鼻息を荒くした。

 もうどうでもいい話である。

 しかし、当時は、どうでもいいことを真剣に向き合ったいい時代だったのだ。ヒロキングvs.キングヒロ、Wキング(ここまでくると漫才師のようだが)の頂上決戦の戦いの火蓋が切って落とされようとした、その時、マリリン先輩の仲裁が入った。

 「こんなつまらねーことで揉めるんじゃねーよ! オレたちで力を合わせて隣の市の「キングコングコグレ」をやっちまおうぜ!」その言葉に、ふたりの「キング」は深く納得、お互い手と手を取り合って熱い握手。ヒロキングとキングヒロとマリリン、そして、助っ人で来た「ティラノサウルスニシザキ」は打倒「キングコングコグレ」の元に向かったのであった。ここまでくると最早なんの話をしているのかもわからない。そして、この戦は、後世まで語り継がれたとか継がれないとか足利ヤンキー列伝の序章に過ぎない。

 (完)

 この連載も今号を持ちまして最終回です。約二年あまりのお付き合いでしたが、終わらなければ次に進めない! です。次号より始まる新企画も内容をグレードアップしてお届けしますので、ご期待いただければ幸いです。

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