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2018年4・5月号 vol.19

三遊亭歌橘「ASHIKAGAN GRAFFITI」

2018年04月02日 17:07 by howdys
2018年04月02日 17:07 by howdys

三遊亭歌橘「ASHIKAGAN GRAFFITI」

 わたしは、もんじゃ焼きが大好きです。毎日もんじゃでもいいぐらいです。我が、お里は「もんじゃ」と言わず「文字焼」。「もんじ」と表現します。「両毛」と称する、おらが村の独特の焼き方で、江戸の場合は土手を作りのうんぬん、しかし、この地域は、お流儀だの、お作法など、何もかもとっぱらって、熱々の鉄板に目掛けて、ドッパー!

はい、出来上がり!

 「もんじゃ」と云やァ、これしか知らなかった。否や、もんじゃと云やァ、これだと信じていた。師匠に弟子入りして数ヶ月後「もんじゃでも食べに行こうか」と言われ、師匠と弟子は、師の馴染みの店の席に着きました。「お前、もんじゃ焼けるのか?」と問われ、新弟子は「はい!」と、心の中で「オレの焼きテクで師匠をあっと言わせてやる!」ぐらいの気持ちがあったのも事実です。
店の方が持って来たどんぶりを混ぜて捏ねて温まった鉄板に、ドッパー! ビールを呑んでいた師匠が、

「何やってんだ、お前⁉︎」
「焼いています!」
「……」
「田舎に居た時は週二でもんじゃでした!」
「コラッ! そんな焼き方があるか!」
「へッ⁉︎」
「この田舎モン!」

 ちゃきちゃきの江戸ッ子に、ちゃきちゃきの足利ッ子の当時十六歳の自分は、もんじゃを焼きつつ食べつつ、大激怒されました。その横で、わたしより数年先輩の兄弟子が「こう焼くんでィ!」と得意満面で焼く姿、それを楽しそうに眺めている師匠に酷く妬きました。鉄板だけに……。

 以降、もんじゃ道を極めるために月島に通ったことは言うまでもない。

 わたしのもんじゃ歴は、その昔、実家の近所に在った、もんじゃ焼き屋さんの「かおり」に入り浸っていた頃から始まります。百円で生卵ひとつ入った「ままごと」が食べられました。醤油を足し、ソースを足し、かつお節を混ぜ、青ノリも入れ、紅ショウガも放り込み、親の仇を獲ったかの如く、これでもかと視覚に入るものは、ぶち込むだけぶち込んで、鉄板前の自称もんじゃ博士たちは独自のもんじゃ焼きの研究に費やしたのであります。つわものは、食べ終わったどんぶりに水道水を足し、そこに醤油、ソース、 etc.お金の掛からないお代わり自由、食べ放題を堪能していました。かおりさんの人気メニューが「肉文字」。これは、得体の知れない、そう、おばちゃん曰く「豚肉が入って、三百円」これが最高に美味かったが、ジャリ時分は毎月の小遣い千円の身、なかなか手が出せない。三百円で苦労していた年頃だった。
 中学校の卒業式の後、友人と「かおり」に足を運んだ。勘定の時、三百円だったか四百円だったか足らず、後で持って来ると言ったまま、内弟子の荷造りで忙しく、そのままになってしまっていた。内弟子の年季が開けて、ひさかたぶりに、おばちゃんの店に再訪して、呑み食いした後、当時の足りない分も含めて「釣りは要らないよ」と言うと、 「そんなこと百年早いわよ! はい、お釣り!」 渡されたのは二ツ目に昇進した御祝儀だった。おばちゃんは眼から大粒の泪を流しながら 「あんたが、また顔を見せるまで私もがんばったわ」
 現在の様に頻繁に帰郷が出来ない身分だったので、それから三年後、おばちゃんのところに行ったら店は閉められていた。以後、おばちゃんが元気なのかも亡くなったのかもわからない……。

 

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