子どもたちの教育に必要な応援のかたち
そういえばかつて日本人の学力は世界一でしたね。
私が16歳の頃、交換留学生としてアメリカ合衆国に行った1990年。
日本はバブルを謳歌しながら経済大国としてそのピークを迎えていました。
街も人も華やかで希望に満ち溢れ、景気が良くて
お金が回っていると人間は元気になるんだな、と今思えば感じるような時代でした。
私は団塊Jr.で一番子どもが多かった頃の世代で、
同級生にはあのイチローや木村拓哉がいたりします。
受験をするにもスポーツをするにもとにかく人が多くて競争が激しくて、
クラスも学校も部活も習い事も全てが過密でした。
今の少子化の子どもたちの環境は考えられません。
その頃の日本人の学力レベルは世界一とよく言われ、
実際にアメリカに渡った後も英語さえわかれば
各教科の内容については全く苦労した記憶がないです。
文系で理数系が苦手だった私でも、
アメリカに行ったら突然数学が留学先の高校でトップクラスになってしまい、
戸惑ったことを覚えています。
そんな学力先進国と言われたのも大昔の話。
今は中国や韓国をはじめとするアジアの国々や、欧米諸国と比較しても
どうやら日本の学力レベルはパッとしなくなったそうです。
「ゆとり教育」なんていうのもありましたね。
こうやって書いていると、
私が子どもたちにもっと学力をあげてほしいと思っているように思われるかもしれませんが、
そんなことはありません。
もちろん学力がないよりはあった方が良いと思いますが、
それよりも学力に限らず、個々の才能や個性を最大限に発揮することや、
独創的な発想や活動をもっと応援できるような
教育と社会の枠組みができるといいなと思っています。
私は最終的にアメリカの大学で奨学金をもらったりしながら芸術と文学を学び、
サンフランシスコの芸術大学を出ました。
高校生の時に描いた絵が留学先の地元の展覧会で最優秀賞をもらったのですが、
その時に大学の教授から奨学金のオファーとともに勧誘され、
まるで野球選手だな、と驚いた記憶があります。
アメリカは税制も優遇されるので奨学金の基金が沢山あり、
音楽でも芸術でも、スポーツでも、
実績を残せばその才能に投資するのが当たり前です。
トム・クルーズさんが学習障害を持ちながら学校を出て、
世界的な俳優となったのも、
「全てはできなくても、何か光るものを応援する」
文化なしではありえません。
日本ではまだまだスポーツ、文化、芸術、音楽といった
偏差値で置き換えられない才能への支援が
他国に比べて弱いと感じています。
子どもたちへの応援、教育のあり方も
これからの課題ではないでしょうか。
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