「大人の鏡に映し出される未来」
子どもは大人の鏡だな、とつくづく思うことが最近多いです。
よくよく考えると、幼稚園や保育園の頃、小学校の低学年の頃に自我というものがどのレベルであったかと自分を振り返ると、発達段階ではまだこれというものは何もなかったと思います。
小学校高学年になっても、まだまだ狭い世界で経験も浅く、確固たる自分の意思や意見などは(自分ではあったと思っていても)あるはずもなかったと感じています。やはり中学生から高校生になって、反抗期や思春期を経て、ようやく出会えるものが「自分」というものなのではないでしょうか。
しかし、小学校の低学年であろうが、子どもはひっきりなしにしゃべり続け、自己主張を続けます。意見も言えば、分析も語ります。
でもそれはほぼ周囲の大人の受け売りだったり、真似だったりするわけです。
親子で話し方が似るのは当たり前であるように、身近な大人から全てを学んでいく子どもたちは気づけば大人のコピーロボットのように、仕草から話す内容、考え方のベースまで鏡に映すかのようにつくりあげられていくのです。その模倣から始まって、その先にあるのが個々の思考であり、個性なのでしょう。
仕事柄、大勢の小学生から高校生まで様々な子どもたちと、様々なかたちで接する機会があります。そうすると、子どもたちと親御さんはよく似てるな、と感じることがしばしばです。私も親でありますので、それを感じる度に自分にも怖さを感じざるをえません(笑)自分の子どもを叱るときもどこかで感じるのは、子どもがちゃんとしていない時にはその原因は自分にあるのではないか、ということです。子は親を見て育ちますから。
社会全体においても同様で、大人たちを見て、社会の流れや主流である価値観や方向性に合わせるように子どもたちはもちろん、若者たちも成長します。
前向きな社会は前向きな子どもや若者を生みますし、元気がある会社の新入社員は元気になります。愛情あふれるコミュニティーには愛が溢れ、希望が感じられる組織にいる人々は希望に満ち溢れます。夢がある世界には、夢しかありません。
恐ろしいのは、逆もまた真実だということです。マイナスな環境では、どんなに可能性を持った子どもも若者もマイナスに走ってしまいます。
子どもは大人の鏡なんだ、ということをしっかりと自分の中で軸として持ち、COMPANY43が良い未来を子どもたちに映しだせるようにこれからも頑張りたいと思います。
読者コメント