足利がかつて日本一の織物生産高を誇った昭和初期。
足利銘仙は文字通り足利というまちとその産業、商品、文化を日本中に広めました。
11月1日付であしかが輝き大使に任命された渡良瀬橋43の衣装は、
昭和初期に大流行したその銘仙という着物の古布をアレンジして作られています。
今号の表紙では、12月25日まで足利市立美術館で行われている
「VIVID銘仙-煌めきのモダンきもの-」展
の様子をご紹介しています。
今年の4月に日伊国交150周年記念をきっかけに
イタリアのローマで行われ大好評だった「VIVID銘仙展」の凱旋展です。
銘仙は、大正から昭和初期に流行した絣着物で、
斬新なデザイン、鮮やかな色、庶民向けの価格で一世を風靡しました。
当時のおしゃれで自立を夢見る女性のファッションであり、
「大正ロマン」「昭和モダン」の象徴でもあります。
つまり、「大正ロマン」「昭和モダン」の最先端を走り、
商品としてはもちろん、その思想の上でも銘仙は突出していたということです。
尖った存在、他の追従を許さないものであったからこその「日本一」であり、
全国に評価されたのでしょう。
そして今、そのかつて時代をてっぺんで駆け抜けた銘仙は、世界でも評価されています。
歴史を紐解くと、大正よりはるか前、
少なくとも奈良時代には足利は織物の産地と記されていますので、
織物の歴史はこのまちには根付いていました。
それが銘仙という文化と思想が加わり、
新たな製品となり、流通され販売され、広まったことによりブームとなったのでしょう。
残念ながら、この銘仙での日本一を境にこの勢いは減退し、
今日に至っています。
そして現在は、銘仙復活のための様々な取り組みがなされていますが、
基本的には足利銘仙は過去のものとなり、懐古の対象となってしまいました。
歴史の輝く1ページではありますが、このままでは現在につながらず、
文化としてこのまちに残ることは難しいでしょう。
渡良瀬橋43の衣装で地道にではありますが、
この銘仙という歴史を継承し、新しい文化との融合を図り、
次世代へつなげたいという思いを持ちながらPRをしてきましたが、
今回の「VIVID銘仙-煌めきのモダンきもの-」展をきっかけに
ますますその思いが強くなりました。
先人が残した偉大な遺産を化石とするのではなく、
その思いや思想を受け継ぎ、
またこの時代に合った新しいかたちでの進化と飛躍を考えていきたいと感じました。
織物はできませんが、
思想と文化を発信したり、アレンジしたり、PRするという点で
このまちの偉大な足跡を未来に繋げられたらと思います。
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