夏休みが始まりました。
最近は週に1、2回は車で高速道路を利用するので、明らかに家族連れのみなさんで道路が混み始めた実感があります。
子どもたちが楽しみにしていたこの夏休み、自分が小さかった頃を思い起こしても、夏のこの1か月余の期間に体験したこと、感じたことはもう具体的でなくても何か鮮明な印象として残っています。センセーション、というものでしょうか。
私の育った家庭は、自営業だったこともあり、父母ともに普段は日曜日も働いていたので、祖父母との関わりが主でした。ただ、夏休みには家族旅行に連れて行ってもらった思い出や、お盆に親族が集って楽しく団欒した記憶があります。
子どもの頃は全てが新鮮で、見たことも感じたことも全てが鮮明な色彩で驚きに満ちていました。何を見ても、何を感じても、その感受性は鋭敏で、大人になってからはもはや2度と戻って来ない情動に満ち溢れています。流れる時間の感覚も、感じ方も全てが大人に比べて子どもたちの方が優れているというのは間違いありません。そう考えると、やはり未来が見えているのは、私たち大人の鈍った感覚ではなくて、子どもたちの澄んだ眼なのではないかと思います。
私たち大人は、どうしても子どもたちに自分たちの価値観や世界観を押し付けてしまう傾向があります。もちろん、自分たちの財産である経験を伝え、子どもたちが成長過程で正しい道に進むように導くのは大切なことです。しかし、子どもたちの可能性、それぞれの子たちの中に眠る力を「自分はこうだったから」と押し付けてはいけないよな、と思っています。
世界の政治情勢も経済も激動の時代。経営者の端くれとして自分なりにはこれからの地域はもちろん、日本や世界の未来を予測しながら対策を講じていくわけですが、そこでやはり忘れてはいけないし、考慮すべきなのは次の世代に見えている世界と自分の古ぼけて曇りはじめて来た眼鏡を通して見えている世界とのギャップだと思います。
最近書類を整理していて気づいたのですが、18歳の頃に自分が考えていた未来の世界にかなり近いかたちで2016年の今があって驚きました。5年前に自分が考えていた未来像より、25年前のイメージの方がより現実に近いのは驚きでした。中途半端に経験を重ね、色眼鏡でしかものが見れない大人になると、ありのままの世界が見えないのかな、と痛感した瞬間です。
この夏休み、子どもたちが見て感じている世界をちょっと自分ものぞかせてもらおうかな、と感じています。
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